2017/3/27 京セラ国分取材
初マラソンで2時間27分08秒の19歳
インターハイ未経験の藤本とはどんな選手か?


@京セラ入りのきっかけは「どこまでも走って行ける」こと

 藤本彩夏(京セラ)が2時間27分08秒(男女混合レースだが岩出玲亜の10代日本最高記録を上回った)で日本人トップとなった東京マラソン。レース後の会見で、印象的だった言葉がある。
「走ることが好きで、苦にならないというか、どこまでも走って行ける自信があります」
 人に負けないところ、自信があるところは? という質問に対する答えだったが、5km毎を17分30秒で押し切った直後。驚く関係者を、そういうタイプなんだ、と少し納得させた。
 高校時代は個人種目でインターハイに出ていない選手だが、この「どこまでも走って行ける」ことが京セラ入りのきっかけにもなった。

 市船橋高2年の夏合宿でのこと。福島県の檜原湖畔で田村高がリーダーとなって行われる合宿で、30km走がフィナーレになっているという。その30km走の前日のメニューは12kmジョッグだったが、藤本は「私は動いちゃって24km走っちゃったんです」という。
 それが同じ宿に泊まっていた佐藤敦之監督に、市船橋高の高橋孝典監督から伝わった。「自分もまがりなりにもマラソンランナーでしたから(09年ベルリン世界陸上6位。自己記録2時間07分13秒=日本歴代4位)、高校生が30km走の前日に12kmを走ることが、どのくらいきついかはわかります。それを自分で12kmプラスで行ったのですから驚きました」
 監督に就任して1年目で、まだ走ることができた佐藤監督は、翌日の30km走を一緒に走ってみた。
「スマートなフォームではなかったですね。X脚で、肩に力みもあったし、腰も落ちていた。このフォームで(3000mを)9分37秒で走るのだから、人にないものを持っているのだと感じました」

 選手と指導者の出会いには、運も必ずある。
 佐藤監督は会津出身で、自身のマラソン練習を檜原湖で行うことが多かった。
 そして藤本の家庭環境が、長い距離を走ることに向かわせた。
 父親の泰男さんは元トライアスロン選手で、藤本と2学年違いの姉も自然と長距離を走り始めた。姉が高校の卒業旅行を兼ねておきなわマラソンを走ったことで、藤本も高校最後にマラソンを走ることが「藤本家の恒例行事」と考えていた。
 市船橋高の練習そのものが、「他の高校と比べたら走る方だった」という。卒業旅行のマラソン出場を強く意識していたわけではないが、チームメイトよりも2kmの周回コースを「1周か2周、もしくは3周多く」走ることが普通だった。

 2016年2月のおきなわマラソンに2時間47分31秒で優勝した藤本は、東京マラソンの出場資格を得た。4月の京セラ入社時に、藤本の方から1年後の東京マラソン出場を佐藤監督に確約させて、実業団競技生活を始めたのだった。


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